赤松選手の引退、引退セレモニーが9/22のマツダスタジアムで開催される中日ドラゴンズ戦となることも発表されました。FA移籍した新井選手の人的補償としてカープに移籍。そこから圧倒的な走力と守備範囲でレギュラーの座を掴み、その後は試合終盤の切り札として活躍。闘病生活から復帰を目指しながらルーキー達のよき兄貴分としても存在感を発揮してくれました。今日はそんな赤松選手の功績について書きたいと思います。
FA移籍した新井さんの人的補償でカープに入団、レギュラーとして活躍
2004年のドラフト6位でタイガースに入団、3年間で2度のウエスタン盗塁王に輝いた俊足外野手にカープが目をつけ、FAで移籍した新井さんの補償選手としてカープが指名しました。
あまり知られていませんが2軍では赤松選手は打率3割を2度マークするなど打撃面でも上々の評価。
移籍1年目の2008年にはいきなり1軍に定着、左打者だった天谷さんと併用という形とはなりましたが125試合に出場して.257 12盗塁 62得点とその持ち味を新天地で発揮してくれました。
翌2009年は1番センターとして開幕から定位置を奪取、レギュラーとしての証である規定打席到達も記録しています。
打率こそ.232と振るわなかったものの、得点圏では3割をマークし自身最多の43打点を記録。
圧倒的な守備範囲の広さで投手陣を助けてくれました。
2010年も天谷選手との併用ながら準レギュラーとして活躍。
規定打席には達しませんでしたが.285に20盗塁と素晴らしい数字を残し、シーズンノーエラーでゴールデングラブ賞も獲得。
赤松選手のキャリアハイライトとでも言うべき、あのスパイダーキャッチもこの年記録しています。
全力疾走からフェンスを一足飛びにしてのホームランキャッチ…赤松選手の身体能力の高さを証明した凄い捕球でした。
打撃面で壁にぶつかり徐々に試合終盤の切り札へ
2010年代前半はコンスタントに80試合前後に出場。
ただし打率.250前後と打撃面で結果を中々残せずに準レギュラーとしての扱いから徐々に試合終盤の代走、守備固めのスペシャリストとしての役割へと移行していった時期でもありました。
本人としてはもちろん悔しかったでしょうが、赤松選手のすごいのはこの期待された役割に完璧に順応して、チームに欠かせない選手であり続けてくれたことです。
守備では2010年以降ずっとノーエラー。
走っても2010年以降は99の盗塁成功、24の盗塁失敗と盗塁成功率は8割を超えています。
赤松選手の盗塁の大半が相手が最大限に警戒している中で企図したもの。
試合終盤の同点や1点差の場面で赤松選手がファーストランナーの代走に出されれば…相手バッテリーが無警戒でいるわけがありません。
それを掻い潜っての成功率8割ですからまさに代走の切り札、そして守備固めとしてチームに欠かせない戦力であり続けてくれました。
2016年には89試合に出場して25年ぶりのチームのリーグ優勝に貢献。
21打席のみでしたが.389のハイアベレージを記録、サヨナラヒットもマークするなど打撃面での貢献もありました。
12盗塁15得点を記録した走塁面、相変わらず無失策だった守備面も含めて走攻守でチームを支えてくれ、自身初の日本シリーズへの出場も果たしました。
胃がんの発覚、リハビリから1軍復帰を目指した3年間
そんな中で衝撃のニュースが飛び込んできたのが忘れもしない2016年のオフ。
胃がんの発見、そしてリンパ節への転移…。
その経緯は以下の過去記事にてまとめていますので適宜ご参照ください。
昨年オフには球団から現役を続行するかどうか判断を一任され1軍復帰へもう一年挑むことを決意。
頭で覚えている当時の動きを今の自分の身体で実行できるか…そんなもどかしさを抱えながら懸命に1軍の舞台を目指し続けた3年間だったと思います。
また毎年キャンプ前にはルーキー達とともに自主トレを行い、チームに溶け込めるように声かけ、積極的にあだ名をつけるなどの気配りをしてくれていたニュースが一種の風物詩のようになっていたのを覚えています。
間近に迫っている22日のセレモニーを楽しみにしましょう…台風の影響が無いと良いのですが…。
赤松選手、カープに入団してくれて、カープファンとして応援させてくれて本当にありがとうございました!
そして本当にお疲れ様でした!
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