今日、石井琢朗コーチそして河田コーチの今シーズン限りでの退任が発表されました。
河田コーチについては先日、記事を書いたばかりなので今日は石井琢朗コーチの功績について書きたいと思います。
石井琢朗コーチは現役選手時代、2008年オフにベイスターズからカープに移籍してきました。
1998年にマシンガン打線の押しも押されぬ1番打者として優勝に大きく貢献した名遊撃手も年齢の波には抗えずに成績を落とし、若手への切り替えが進む中で出場機会の限られていきます。
そして2008年、チームからの引退勧告を拒否して現役続行のために自由契約を申し出ました。
そこで手を挙げたのが低迷期真っただ中で、優勝経験のある選手を求めていたカープでした。
ベイスターズ応援団の粋な計らいで、ベイスターズ時代からの応援歌をそのまま引き継ぎ、慣れ親しんだ応援歌の下、カープでもその存在感を如何なく発揮。
ショートやサードでプレーして、移籍2年目の2010年シーズンには規定打席には遠く届かないものの打率3割を記録、その打撃技術を見せつけました。
2012年には選手兼任コーチとなり、その年に引退を発表。
2013年からは内野守備・走塁コーチに就任し、2016年からは打撃コーチに転任して今に至ります。
守備・走塁コーチとしてカープの攻撃を守備目線で見て、もっと幅のある攻撃ができるはずと感じていたという石井コーチ。
就任してとにかく取り組んだのが選手の意識改革でした。
打撃論こそあれど、選手一人ひとり感覚も異なりこれがベストという形がない。
そんな教えるのが難しい打撃コーチという役割の中で、「意識のないところに形はできない」という信念の下、どういう意識を持てば形ができるか、そこを教えることからベースに指導に当たったと言います。
個人の成績で言えばヒットやホームランが満点の結果、それでも野球は相手より1点でも多くとる、1点でも少ない失点に抑えることで勝てるゲーム。
1点でも多く得点するための選択肢は何もヒットだけではない、ノーヒットでも相手より1点でも多くとれば勝ち。
その意識をとにかくカープの選手たちに徹底していきました。
得点圏で勝負強い打撃を披露するのを目指すのは良いが、それよりもとにかく得点できる可能性のあるチャンスを1つでも多く作ること。
ヒットやホームランを目指して結果として何も生まないアウト(典型例が三振)になってしまうのではなく、凡打でも得点につながる場面はある、そう意識づけることでヒット、ホームランを打たなくてはいけないという強すぎる気持ちを抑えることに成功していきます。
タイムリーヒットを無理に目指さないというややマイナス気味の思考が、打席の中で気持ち的な余裕を生んで逆にプラスに働く。
そんな意識面での改革は、もちろん確かな練習量によって支えられます。
就任前のシーズンでリーグワーストだった三振数を減らすためにあえて基本であるスイング練習、素振りを取り込み、一日800スイングという目標を設定。
とにかく徹底的にバットを振らせました。
ただ振らせるだけではなく時には物干しざおのように長い棒を振る練習や、時には足元にボールを置いてゴルフのティーショットのように選手にボールを打たせたり、とにかく単調になりがちな練習にもユニークなアイディアを取り入れる工夫も欠かしませんでした。
そして練習は理想を追い求める場所、試合はどれだけ迅速な状況判断ができるか試す場所。
練習でやってきたことを試合でも出すというスタンスとは一線を画して、明確に確認作業である練習を試合とは切り離す考え方を示しました。
試合では打者はあくまで投手の投げるボールに対して受け身でアプローチするしかない立場にあります。
まっすぐに強い打者には変化球で崩しにかかってきます。
そこでの駆け引きの要素も入ってくる試合で練習通りのアプローチをしても結果にはつながりません。
100点を3割打つことだとするのであれば、練習ではそこを目指して技術を上げるために努力する。
その一方で、試合では残りの7割も生かしてプラスにして、10割を使った攻撃を見せる。
一つの凡打、失敗でもいかにランナーを進めて得点の確率を上げていくか、得点できるチャンスを増やしていくか。
コーチとして目指す攻撃を「先頭のフォアボールでの出塁、盗塁して送りバントで3塁に置いての犠牲フライでの1点」と語ったこともある石井コーチ。
試合ではヒット、ホームランを目指すだけの攻撃にならないように、その意識の徹底が実ったからこそ、アウトを無駄にせず後ろにつないでいく今のカープ打線の攻撃が出来上がったのだと思います。
タイガースに9点差をひっくり返されたゲームの後では「ひっくり返したタイガースは優勝するチームの勝ち方、そういう雰囲気をひっくり返して、あの逆転負けがあったからこそ優勝まで行ったと言われる戦いをしよう!」、そう檄を飛ばしてチームを鼓舞しました。
自ら打撃投手を務めて、スワローズの山中投手と対戦する際にはゲン担ぎで不慣れなアンダースローでの登板もしました。
家族を関東に残して単身赴任を続けて早くも9年が経とうとしています。
カープは強くなる、その強くなる過程に少しでも携わりたい。
その気持ちでご家族に我慢をしてもらってカープのために尽力してくれました。
ともに退団する河田コーチとの共通点はともに「意識がないところには形もできない」という信念を持ち、時には鬼と言われるほど厳しくも暖かく選手を指導したところです。
チームに革命を起こしてくれた二人の名コーチを失うのはチームにとってとてつもない痛手ですが、33年ぶりの日本一を勝ち取って笑顔で送り出せるといいですね。
2人の名コーチと、その二人がカープを支えることを許してくれたご家族にとにかく感謝です。
これで、ますます負けられない理由が増えました。
日本一に向けて、これからもチーム一丸で一戦一戦、頑張ろう、カープ!
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