僕らもカープ

現在海外在住のカープファンが、現地観戦できない分の思いも込めて、カープを応援し続けるブログです。20数年来、カープを応援してきた視点から今年のカープの軌跡を自分なりに追いかけていくブログです。

球団史に残る名守護神永川の引退 背番号20を受け継ぎ球団最多の165Sを記録した功績を振り返る

永川投手の引退、引退セレモニーが9/23のマツダスタジアムで開催される中日ドラゴンズ戦となることも発表されました。自由枠での入団以降中継ぎ、抑えでフル回転。劇場型と揶揄されることもありましたが全盛期には間違いなく絶対的な守護神でした。今日は最大限の敬意を表して永川投手が残してくれた功績について書きたいと思います。

  

2002年自由枠でカープに入団、ルーキーイヤーから大活躍

北別府さんの引退から8年、空き番号となっていた背番号20を球団史上初(そして結果的に制度が存在した4年間で唯一)の自由枠を使っての入団となった永川投手が引き継ぎました。

そう、旧広島市民球場時代で入場料収入も限られ、FA制度と逆指名制度の同時導入、戦力均衡化と真逆の動きのあおりを諸に受けて、絶賛暗黒期真っ只中だった2002年ドラフトでカープに入団してくれたのが地元出身の永川投手です。

球団としても最大限の誠意を背番号に託しての、期待を一身に浴びての入団でした。

 

そしてその期待に応えて、ルーキーイヤーから抑えの大役を任されて(前年守護神だった小山田投手の怪我もありましたが)40試合の登板で防御率は3点台後半ながら球団新人記録となる25セーブをマーク。

新人王獲得はなりませんでしたがオールスターにも出場する華々しいデビューを飾りました。

 

2年目の2004年も開幕から守護神を任されましたが不安定な投球が続いて4セーブを記録したところで守護神を剥奪され、2軍への降格も味わいました。

シーズン終盤に再昇格した際には4試合に先発登板、キャリアを通じて唯一先発したシーズンとなり、迷走した時期だったと言えるでしょう。

 

しかし3年目の2005年には信頼を取り戻し、勝ちパターンの一角を任され復権の足がかりを作りました。

怪我による一時離脱がありながらも57試合の登板、イニング跨ぎもこなすなど大車輪の活躍を披露。

翌シーズン以降の守護神としての全盛期に繋げました。

 

 

 

そして全盛期、圧倒的な守護神としての存在感

2006年から2009年。

この時代のカープの守護神は永川投手以外には考えられない、まさに絶対的な守護神へと登り詰めてくれました。

2006年は前年からの流れで勝ちパターンの中継ぎとしてスタート、 しかし抑えを務めていたベイル投手の負傷離脱に伴い、守護神の座に返り咲くとキャリアハイの65試合に登板する大車輪の活躍、ルーキーイヤーを上回る27セーブを記録してチームを支えました。

 

防御率1.66、WHIPも1を切る圧巻の数字を残してまさに絶対的守護神として君臨。

2007年以降が3年連続の30Sを記録した全盛期と考えられていますが、個人的にはその前年だった2016年シーズンが永川投手のベストシーズンだったと思います。

2段モーションの規制変更によりフォームに修正を加えたのも大きな要因と言われていますが、ルールの変更に適応できるかどうかも一流投手の絶対条件。

70 2/3回で24四球(死球0)、86奪三振とクローザーとしてフォアボールは出さない、三振は奪う、そんな理想的な投手でした。

お化けフォークを投げる投手でしたからワイルドピッチはどうしても多くなりがちでしたが…。

 

2007年シーズンはキャリアハイの31Sをマークするも防御率は3.06(自責点にならない失点も多かったのでもっと不安定な印象でした)。

抑えを務めながら7敗を喫している事実がこの年の永川投手の苦しさを物語っていると思います。

 

しかし2008年は再び圧倒的な存在感を発揮して4勝1敗38Sの圧倒的な成績を記録、シーズンのセーブ数球団記録をマークしました。

防御率1.77、WHIPも1を切る圧巻の数字まで戻してきました。

この年をベストシーズンとする人も多いかと思います。

まさに入団以来武器であった荒々しさと球威、積み重ねてきた経験が融合しての永川投手のピッチングの完成形が見られたシーズンでした。

 

2009年は36Sを上げ3年連続30S、球団新記録となる139Sをマーク、そのまま通算150Sもマークと記録づくしのシーズンでしたがフォークの精度が落ち苦しいシーズンでした。

奪三振率が入団以来初めて9を割り込んだシーズンでもあります。

5年連続のシーズン50登板に伴う疲労蓄積の影響が顕在化したシーズンだったといえるでしょう…ただそれでも1シーズン守護神としての役目を全うして30Sを残したわけですから本当に凄いとしか言いようがありません。

余談ではありますが弟の永川光浩さんが育成1位指名でカープに入団なんていう話題でも盛り上げてくれましたね。

   

 

ベテランとして苦しいときにチームを支えた2010年代、そして引退へ

全盛期のフル回転の後遺症というべきでしょう、そこからの永川投手は全盛期のようにストレートで押し込んでフォークで空振りを奪う圧倒的なピッチングはできなくなりました。

肩の蓄積疲労だけでなくそれまでも慢性的に苦しめられた右足内転筋の怪我もありシーズン20試合にも登板できないシーズンが2年続き、2012年にはプロ入り後初めて1軍登板なしに終わりました。

 

しかし2013年にはシーズン後半戦にセットアッパーとして復活、チームの暗黒期の終焉を告げた16年ぶりのAクラス入りに貢献してくれました。

2014年には久々、そしてキャリア最後のシーズン50試合登板を達成。

守護神の座への返り咲きとはいきませんでしたが勝ちパターンの一角に食い込み、シーズン終盤には延長戦突入時の変則的な形の中ではありましたが、自身最後、165個目のセーブも記録しました。

 

3連覇の最初の年となった2016年には通算500試合登板を達成、限定的な起用ではありましたが2勝をマークするなどチームの苦しい時期を支えてくれました。

何より実績抜群の生え抜きベテランの存在感は、シーズン佳境を迎えて苦しんでいた当時まだ優勝を経験していない若きブルペン陣を精神的に支えてくれていました。

2017年は登板無しに終わりましたが昨年も22試合に登板して2勝をマーク。

一時的でしたが勝ちパターンの一角として起用される場面もあり、間違いなく昨年までの3連覇、黄金時代を築き上げた功労者の一人です。

 

シーズン最終戦に引退セレモニーが予定されているということですが、一軍登録、引退試合とできるかは分かりません。

その時までに順位が決まっていない場合には、引退登板は、最後の雄姿を目に焼き付ける機会は一軍マウンドではないかもしれない。

 

永川劇場なんて揶揄される場面もありましたが、フル回転でブルペンを支え続けてくれたからこその代償だったのだと思います(今年の中崎投手も然り)。

思うとおりのボールが投げられない。

自身が一番もどかしく、悔しかったと思います。

それでもマウンドに上がって、そのとき出来る最大限のことをやろうとする姿勢を見せ続けてくれました。

 

2006年、そして2008年シーズンは劇場とは無縁、間違いなく圧倒的な存在感を誇る、12球団に誇れる頼れる守護神でした。

カープに入団してくれて、カープファンとして応援させてくれて本当にありがとうございました!

そして17年間、本当に本当にお疲れ様でした。

 

球団記録をさらに更新するリーグ4連覇へ、チーム一丸で今年も頑張ろう、カープ!

 

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